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時間のA面で繰り返される、不思議なB面について

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学校で教えない日本史

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鎖国


逆説の日本史 
江戸文化と鎖国
の謎 
    井沢元彦 著

割り箸の思想(穢れの思想)

会社の食堂では木材資源を守るために割り箸を使わないところが多いかもしれない、しかし町の定食屋から高級料亭まで日本では割り箸を使ってご飯を食べるのが当たり前になっている。しかし日本と同じように儒教の影響を大きく受けている中国や韓国では割り箸は使わないようだ。

どの家庭でも家族一人一人のお茶碗と箸は専用の物がある。亡くなったおじいちゃんのお茶碗や箸を大事に使っているひとはまずいないだろう。

世界人口の半分以上を占める一神教(キリスト教、イスラム教)圏でも私し専用のナイフ、フォークなどと区別して使っている所はない。日本では茶碗や箸は口に触れるものであり他人が使用したものはけがわらしいと嫌うからである。

昔から日本ではひとの生死にかかわる問題を恐れていた。平安時代には「死刑」という判決はあっても、死刑を執行するひとがいなかった、だから島流しされた。葬式は「坊主」に病気の治療は「医者(坊主)」に戦争は「武士集団」に外注したのだ。獣を殺し皮の処理するひとを橋のない川向こうに追いやったのも「穢(けがれ)れの思想」からだ。日本の支配層は生き物の生死に関わることを恐れてきた。

京都の貴族達は鎌倉時代から明治維新までの700年間政治は鎌倉・室町・江戸幕府の将軍達に外注し自分たちは京都で海外からの使者をもてなして優雅に暮らしていた。

教会で結婚式を挙げるカップル達ににあなたはキリスト教の信者ですかと尋ねたら、多くのカップルは違います、私たちは無宗教ですと答えるだろう。日本人の体の中には神道でも仏教でもない宗教が住み着いているようだ。それを多神教とうのだろうか、不思議な感覚を私たちは持っているのだ。

鎖国とキリスト教

日本にキリスト教を布教する大きなチャンスは織田信長の時代にはじまり明治維新そして昭和20年の敗戦の時であった、本来ならたくさんのキリスト教徒が生まれていてもおかしくない、しかしキリスト教徒は全人口の1パーセントにすぎないのだ。

織田信長の時代スペインやポルトガルから伝道師とやってきたイエズス会の神父達の目的は日本の征服だった。南米などにはポルトガルやスペインの植民地になった国がたくさんある。

戦国時代の日本の武士の指揮は高く鉄砲などの武器は充実しており世界最大の兵力を持っていた、日本を征服するのは不可能だっただろう、戦国大名達が南蛮貿易で手に入れたのは火薬の原料の硝煙だったが天下が統一された江戸時代は火薬の必要性は少なくなった。

江戸幕府はオランダには出島をイギリスには平戸を開き貿易するようになった。どちらもキリスト教(プロテスタント)の国々だ。

日本がアメリカに負け国連軍に占領されてしまった。日本に対してアメリカは漢字の使用をやめ全てローマ字に置き換えるなどの政策を強要しようとした、またマッカーサー将軍は昭和天皇にたいして無理矢理ローマカトリックに改宗させようとまでした。天皇がキリスト教に改宗した段階で日本の国教はキリスト教になるところだった。

それにしても日本人は不思議な民族だ神社で七五三のお祝いをし、教会で結婚式を挙げ、選挙は公明党に投票し、お葬式はお寺で行う。なんと合理的なことか。

明治維新になり鎌倉から700年続いた武士による軍事政権が終了した。それまで政(まつりごと)は卑しい者達の仕事だと武士集団に外注していた貴族達の手元に帰ってきた。明治維新になって貴族達は東大法学部を卒業した官僚達に政を新たに外注してしまった。

2009年8月30日の市民革命、 民主党は「生活と政治は同じだ」と官僚から政治家の手に政(まつりごと)を取り返そうとした。
 

2010年6月2日 民主党左派によるクーデターで政は官僚の手に戻ってしまった。

2011年○月○日  国民の手の中に政が帰ってきた。

これから日本は再生にむかうのだろうか?。

 



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